環境リスク論は「不安の海の羅針盤」か?(2)
2007-01-25


この予防原則がリスクアセスメントに対抗するものなのか、互いに補完しあうものなのかについてリスク論側の主張を見ておきたい。中西らが編集した「環境リスクマネジメントハンドブック」5)において、岡敏広は以下のように述べている(同書368ページ)。−「科学的に不確実な状況下での意志決定の必要性は環境問題の歴史とともにあるのだが・・・(このような場合に適用されてきた予防原則は)科学者からは一種の「割り切り」としか意識されなかった。逆に、政治家や市民の中には、そのような決定があたかも科学根拠に基づいているような幻想を持つ空気があったが、(実は)確かに「割り切り」であった。・・・割り切りである限り、・・・予防の側に大きくふれた振り子が、やがて非予防の側に振り戻されたり、・・・熱が醒めると色褪せて見えたりといったことが繰り返されるしかなかった。・・・リスク評価は部分的に科学的知見を取りいれるが、全部が科学的ではない。それはむしろ、科学的に不確かな要素が残っている時の意志決定を、システマティックに一貫性を持って行うための道具である」−非科学的な予防原則に替わる「部分的に科学的な意志決定手段」としてリスク評価、リスク管理を位置づけているのである。
同じハンドブックで(同書410ページ)、岸本充生は、予防原則をリスク評価に取って代わるべき科学的プロセスとするSantilloらの主張16)に対するChapmanの反論17)「予防原則はリスク管理のための数多くのアプローチのうちの一つに過ぎない」を示して、予防原則の4つのジレンマを指摘している。すなわち、1)予防原則を適用すると対策費用が通常よりもはるかに多くかかる可能性があり、2)予防原則が新たなリスクを引き起こす可能性があるとして、トリハロメタンによる発ガンリスクを回避するために病原性微生物による感染症リスクを見落とした事例や、DDT禁止によるマラリア患者の増加の例を挙げ、3)対象となるハザードが用量によっては便益をもたらす可能性を見逃す可能性ありとして、低線量放射線暴露によるホルミシスを例に挙げ、4)予防原則による決断を行わずに研究投資することが賢明である可能性として、研究によって不確実性が減少して正しい決断にたどりつける可能性を挙げている。
二人の主張はいずれも、予防原則は科学的手段だと誤解される傾向があるが非科学的であり、一部不確実な(科学的でない)部分を含むとはいえ、リスク評価、管理手法は合理的で優れているというものである。しかし、すでに前節で述べたように「部分的に科学的な(実証科学的なという意味だと思われるが)」手法がより科学的である保証はどこにもない。むしろ科学的であることを装って、その結論を市民、国民に押しつけるやりかたがはびこっている弊害の方が大きいのではないだろうか。「部分的に科学的である」ことは、専門家や行政担当者をも「科学的に得られた結論である」という自己暗示にひきずりこむ可能性が高いように思われる。不確実領域に対する態度、やり方として、予防原則の方がむしろ科学的態度を貫いているのではないだろうか。このことについては、BSE牛対策としての全頭検査は正しかったとする予防原則側からの指摘を紹介しながら、具体的に次節で述べる。

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